ドラッカーを読んで

今年良く読んだのがドラッカーの著作だ。会社は社会の公器であると聞くとあまりにも建前のみを語っているような気がしてすこしうんざりしていたものだが、ドラッカーの本を読んだ今となっては素直に頷くことができる。会社とは機能する社会を作るために「役に立つ」道具であるという理由で、社会から存在を許されたものでしかない。単に関係者のみが利益を得るだけの道具に対して、社会が存在を認める筈がないだろう。そう考えると社会の公器であることは上場してようが非上場であろうが関係がなくなる。人間でもないものに対して法律行為の主体として認めることは大きな特権であり、かつては政府からの免許さえ必要だったほどだ。
社会の公器であることを考えると、統治体制はどうあるべきなのか。株主だけが経営を監視するのは大きな問題があるように見える。社会に大きな影響を与える存在なのに、株主以外は何も口出しできないためだ。すでにそのような流れができつつあるのかもしれないが社外取締役あたりが大きな意義を持ってくるのだろうと思う。かつて社外取締役の存在意義は少数株主の利益を守るためにあると思っていたが、実際には、企業が社会に害悪を与えないように監視するところにあるのかもしれない。