脳のなかの幽霊

脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)

脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)

昨日読了。明日にでも図書館に返却する予定。
人間の脳の中には、ゾンビがいて意識のあずかり知らぬところで勝手に行動しているという指摘が不気味。たしか「ユーザー・イリュージョン」でもそのようなことが書いてあった。しかし脳の研究が進んでゆき、意識というものが人間の行動に与える影響が少ないことが誰の目にも明らかになってくると社会は大きな変化を迎えるのではないかと思った。まず刑法における責任能力という考え方が本当に妥当なのか疑問が出てくるのではないか。またいわゆる自己責任という言葉の意味も変わってきそうだ。

フロイトの「偉大な科学の革命には一つの大きな共通点があった」という指摘が興味深い。それは宇宙の中心としての人間の誇りを傷つけたり、中心から追い落とすという特徴があるという。まず最初はコペルニクス。地球中心の宇宙観を地球は宇宙の小さな塵にすぎないという考えに置き換えた。次にダーウィンである。最後が、フロイト自身による無意識の発見とそれに随伴する「管理している」という人間の観念が幻想にすぎないという見解だ。

笑いに関する指摘もおもしろい。笑いは主として個人が社会集団の他のメンバーに、検出された異常はささいなことなので心配はいらないと合図するためにあると著者は指摘している。

最後の「火星人は赤を見るか」はクオリアに関する章で一番難しい。私が赤を見て感じるクオリアと別の人が同じ赤を見て感じるクオリアが同じなのか、子供の頃から疑問に思っていた(もちろんクオリアなんて言葉は最近になるまで知らなかったが)。クオリアを言葉に翻訳する際に、体験そのものは失われてしまう。二人の脳の神経繊維を結びつけることで理論的にはクオリアを共有することは可能だと説く。このようなことが実際に可能になることがあるのかどうかは疑問だが。

付録で紹介されている「なぜ男性はブロンドを好むのか」という議論もおもしろい。男性がブロンドを好むのは、生殖能力や子供の生存能力を低下させる寄生虫感染や老化の初期兆候を見つけやすいからであり、また性的興奮や貞操の指標となる顔の紅潮や瞳孔の大きさを見つけやすいからだという。著者はこの説を紹介したのは半分風刺の意味を込めているようだ。

もっとメモしておきたいところだが疲れたのでこの程度にする。