恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

第10章を読んだ。言語と性淘汰の話である。言語は一見したところ利他的な行為であるとの指摘に不意をつかれた感じだ。確かにそうである。話す方は情報を与えるのみで、聞き手はその情報を得ることで利益を得るのだから。そうすると、みな聞きたがり、話したがる人はほとんどいないことになるが、これは現実に反する。話を聞いてもらいたいだけで多くのお金をカウンセラーに支払う人も多いのだ。ヒトはみな聞きたがるように進化すると、人間の耳は巨大化し、口はささやく程度しかできないものになっていただろう。とすると、現在の人間の行動や口・耳の構造を考えると、聞くことよりも話す方が大きな進化的な利益を得ていることを示している。

現在のヒトが有している語彙の数は生存上必要とされる数を大幅に上回っている。語彙の数が知性を表し、適応度指標となっていると考えられる。語彙の豊富さは遺伝によるところが大きい。親による教育よりも、遺伝子の働きが大きく左右しているようだ。

面白い疑問として、性淘汰が強くかかっている男性よりも、女性のほうがなぜ言語能力に優れているのかという疑問がある。女性も男性が話す言語を理解していないと判定ができない。男性のほうが言語生産の能力は優れているが、女性のほうが言語理解能力は優れているとも考えられる。また会話は一方的に情報が与えられるだけではなく、相互方向に展開するので、能力は両性で等しくなる方向に進む。

詩とは、ハンディキャップのシステムとの指摘も面白い。大いに納得。あえて難しい制限を設けることで自らの言語能力の高さを誇示することができる。詩に限らず俳句や短歌もあてはまる。音楽に合わせて詩を歌うのは、さらに優れた能力を必要とする。ミュージシャンが詩人よりも人気が高い訳である。

千夜一夜物語は、性淘汰を不気味なくらい正確に描いた物語という指摘もある。なぜ男性は女性との関係が長期化すると、あまりしゃべらなくなるのかという説明にもかなり納得した。性淘汰で説明ができてしまう。

あとおもしろかった文章をいくつかメモ。

  • 男性においては、言葉による求愛の必要があって初めて、人間並みのレベルと認められる言語の発達が起こるのである。
  • 言葉による求愛ができるような機械こそ、真に知性のある機械とみなすべき。