人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

中巻を読み終わったので次は下巻に進む。中巻はかなり知的好奇心を刺激する内容だった。あとで少しメモを書いておきたい。
教育に関する指摘が非常に印象に残っている。つまり教育の内容はほとんどが認知的に自然ではないために、習得の過程は必ずしも容易で楽しいとは言えないという。「直観とその限界」より。不自然なことを学んでいるのだから、勉強は楽しくないということか。すると勉強嫌いが多いのは必然なのか。この視点はマニュアルを作成したり、他人に説明する際にも有用かもしれない。認知的に自然であることを重視しないと、他人にはうまくメッセージが伝わらないということだと思った。脳科学認知心理学がこれからますます重要性が高まりそうだ。今までCreating Passionate Usersを読んでいても、このブログのテーマは何だろうと不思議に思っていた。一貫した柱はあるようには感じていたのだが、それは何か、よく見えなかった。ようやく気づいた。認知的に自然なコミュニケーションのあり方を考えているブログなのだろう。


下巻ではいきなり目からうろこが落ちる文章に遭遇。
リベラルと保守派はどのような価値観に基づいているのかという分析である。保守派の価値観は「悲劇的ビジョン」というもので、リベラルは「ユートピア的ビジョン」というものだ。これは人間をどのようにとらえるか、正反対な考え方が反映している。
「悲劇的ビジョン」では、人間は生まれつき知識や知恵や美徳に制約があり、社会機構はすべてそれらの制約を認識していなくてはならないと見る。
ユートピア的ビジョン」では、心理的制約(人間の能力と考えて良いのか?)は社会機構から生じる人為的なものなので、よりより世界で何が可能かと考える観点が、それによって制約されるべきではないと見る。

「悲劇的ビジョン」では、たとえシステムの構成員が誰一人として特別に賢明で徳の高い人でなくても望ましい結果が出てくるシステムを目指す。これは市場経済につながる。市場に参加する人は利己的に振る舞うことで全体にとって望ましい結果が出てくるためだ。計画経済のように、すぐれた予測能力を有する官僚は求められない。

米国合衆国憲法も「悲観的ビジョン」の産物だ。徳が高い人物が支配者となる保証がないために三権分立が求められるし、戦争を通じて行政府が肥大化することを避けるために、宣戦布告は議会が行うこととされる。


人間の本性に関する理解が、政治的見解の相違につながるとは考えたこともなかった。