20061003

5時50分起床。昨日寝るのが遅かったので体がだるい。運動はいつもと同じ。一駅前で途中下車して徒歩。帰りも徒歩。
女性が履くパンツ(ズボンのことだ)の裾はなぜあんなに長いのか気になる今日この頃。ハイヒールを履いているので裾も長くないとマッチしないのだろうか。自分の裾を自分の靴で踏んでしまいそうだ。
ズボンを買う際には、いつも裾の長さで悩んでしまう。どの程度がちょうどよいのか自分なりの尺度がないので判断に苦しむ。

再びソニケアで歯磨きをするようにしている。今度はわずかであるものの歯磨き粉もつけてみる。口の中に入れてから電源を入れないと、歯磨き粉がどっかに飛んでいってしまうので注意が必要だ。

20061003














人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

昨日読了。最後は芸術がテーマになる。心は「空白の石版」ではないという著者の主張から分かるように、美的感覚も心の中に埋め込まれていると論じる。生後数ヶ月の赤ちゃんでも平凡な顔よりも美しい顔を長い間見つめるという。

芸術は実際的な機能を何も持っていない。そのため芸術はステータスの誇示とも大きな関連を有している。昔から芸術は手っ取り早く体面を整えたがる成金に保護されてきたという歴史がある。

芸術を作り出そうとする衝動は、一種の配偶戦術、すなわちセックスや結婚のパートナーとしての有望な相手に自分の脳の質の高さを印象づけ、ひいては間接的に遺伝子の質の高さを印象づける一種の方法だと考える学者もいる。

芸術家にとって問題なのは、大衆文化の質が低すぎることではなく、逆に高すぎることだと指摘しているのが面白い。芸術はもはや希少性や作品そのものの卓越性によっては人に名声を与えることができなくなり、鑑賞力の希少性によってそれをあたえなくてはならなくなった。その結果、理論が芸術を乗っ取ることになってしまった。技術には詳しくはないが、モダニズムポストモダニズムという運動では、「美」とは学習されたものととらえているらしい。

この著者の本をもっと読みたくなった。文学作品や漫画・ポップカルチャーからも多くを引用し、人間の本性を探っていく様子を見ると、この著者の博識ぶりがよく分かる。ほかには「言語を生みだす本能」(ASIN:4140017406)と「心の仕組み~人間関係にどう関わるか」(ASIN:4140019700)が発売されている。図書館で借りるか買うか。

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

数日前に読了していたが、適当な書籍がなかったので会社に持って行って再び読んだ。「ダーウィンの危険な思想」を読みたいところだが、700ページ以上の本を会社に持って行くのは疲れる。


「直観とその限界」から。
人間が長い進化の経て発展させてきた直観には以下のようなものがある。

  • 直観物理学。一つの場所に占める物体は、ある連続した時間にわたって存在し、運動と力の法則に従うという概念。この観念を捨てない限り、量子論相対性理論、ビッグバン理論を理解するのは難しい。
  • 直観生物学。生き物には隠れた本質が備わっていて、それが生き物に形態や力を与え成長や身体機能の原動力になるという直観。現代生物学を学ぶには、この直観生物学を捨てる必要がある。遺伝子組み換え食品に対する不安もここから来ている。自然食品は植物や動物の純粋な本質を備えており、それらが生育した自然環境が持つ活性化の力を有していると考える。一方で遺伝子組み換え食品は研究所や工場で作られたために汚れてしまった物質を意図的に混入したものと考えてしまう。
  • 直観工学。道具は用途をもった物体、すなわち人がある目的を達成するためにデザインした物体だという直観。進化論を学ぶためにはこの直観工学を捨てる必要がある。
  • 直観心理学。ほかの人々は物体や機械ではなく、私たちが心あるいは魂と呼ぶ目に見えない存在によって生気を与えられているという直観。受精した時点で魂が入ると考えている人が多いことが、胚細胞の研究を困難にしている。実際は胚細胞から神経系が生まれ、脳や脊髄に発達していくのでいつ時点で魂が存在するのか特定するのは困難である。
  • 直観経済学。片方の当事者がもう片方の当事者に利益を与え、それと同等の利益を返してもらう、互恵的交換という概念。この直観は等価交換に重点を置くが故に、市場経済体制にはなじみにくい。利子や不労所得(裁定取引みたいなもの)を強欲として見てしまう。


以上の直観は現実世界をとらえることを難しくしている。そのため学校では、経済学や進化生物学、確率論、統計学に高い優先順位を与える必要があるが、現在のカリキュラムは中世の頃からほとんど変わっていない。


「教育とは人間の精神が生まれつき苦手とするものを補うことを試みる技術」というフレーズが気に入った。