新聞はテクノロジーで二度死ぬ

Newspapers and technology : Network effects (The Economist)
最新号のThe Economistはクリスマス特大号だ。The Economistの表紙は地域ごとに異なっている場合が多いようだが、最新号の表紙の上部にある文章が米国版だけ少し変わっている。ChristmasではなくHolidayと少し配慮した表現。なぜ米国だけなのか、すべてのエディションで同じ表現でも良いのではないかと思ったりする。
この記事では、1845年に電信サービスが登場してから新聞がどのように変容したのか紹介しておりなかなかおもしろい。電信がなくニュースが馬や汽車でやってきていた頃の新聞は内容が非常に古かった。当然と言えるが。ビジネスマンが新聞を参考にするというよりも、ビジネスマンが持っているニュースのほうが新鮮だったのでビジネスマンから新聞がニュースを仕入れていたほどであった。しかし1845年に電信サービスが始まって、新聞を取り巻く環境が一変する。新聞業界の先行きを心配する声も多かったが、逆に電信サービスにより新しい情報を取得することができるようになったために、新聞の魅力が増し需要が増えたというのがおもしろい。新聞は情報だけではなく解説や分析記事で勝負するしかないとも電信サービスの普及時には考えられたが、実際にはそのような展開にはならなかった。電信で送信するためには単語数で課金されたために、短い表現で内容を伝えるようになった。冒頭に重要な文章を記述し、その後掘り下げて書いていくという新聞のスタイルも電信サービスに合わせるために登場したというのも意外な指摘だ。
現在はインターネットというテクノロジーが新聞を再び殺そうとしているが、電信サービスの時のように、新テクノロジーを逆に自らの武器に変えることができるのかどうかはまだ分からない。電信サービスの時には、ラストマイルという問題があったために、電信サービス会社が直接エンドユーザーにニュースを提供することはなかった。このような障壁はインターネットでは存在しない。しかし人が欲しているのはあくまでもニュースであって、新聞というメディアではない。いくらテクノロジーが進化してもニュースを求める欲求自体が変わらない限り、新聞業界はともかく、もっと大きな視野でのニュース業界の成長余地はまだまだ残っていると言えそうだ。