長安から北京へ / 司馬遼太郎

長安から北京へ (中公文庫)

長安から北京へ (中公文庫)

今度はこの本を読み始める。こっちも面白い。項羽と劉邦でも書いてあったが、中国では政治の大きな目的が人民に飯を食わせることにあった。飯の切れ目が縁の切れ目であり、飯を提供できない支配者は人民から見捨てられる。日本では食糧を求めて流民が発生するような事態がなかったことが、政治の重要性が高まらなかった原因ではないかと指摘している。
文化大革命後に中国からの招待で旅行に行った際の記録なのだが、非常に共産党支配下の中国には好意的だ。10年以上前に司馬遼太郎は亡くなっているが、現在の高成長を遂げる中国を見てどんな感想を持つのか、非常に気になる。たぶんがっかりするような気がしないでもない。



思い出したが、アメリカ素描に、面白いことが書いてあった。グラマーでおしりが大きい女性を美人ということになったのはハリウッドによるものというくだりだ。美という不明確なものを定義したという点がハリウッドのすごいところだったという。昔々、日本では胸・おしりが大きい女性は下品と見られていたらしい。顔以外の部位で美人かどうかを決めることはなかったようだ。胸が大きいイコール美人ということは今でも考えにくいような気がするがどうなのだろう。確かにスタイルが良いとは言えるが。