「民衆が語る中国・激動の時代・文化大革命を乗り越えて(1)紅衛兵誕生へ」

録画しておいたものを見た。文化大革命とは何か、紅衛兵毛沢東語録といった言葉は聞いたことがあったもののあまりよく知らなかった。というより興味が持てなかった。それなのになぜかこのシリーズを録画してしまったのだから不思議だ。
文化大革命とは、権力を奪われた(大躍進政策の失敗による)毛沢東によるみずからの地位の復活を目指す動きだったようだ。古い思想や習慣を捨て去るという意味もあったのだが、中途半端であった印象も感じる。中国では「竜は竜の子を産む」という考えがあるようで、出生により所属する階級が固定化されていた。革命に参加した兵士達の子供はもちろん良い階級であるが、自営業者や地主は資本家の手先として悪い階級にあり、子供もそうなる。このように親の身分が子供に影響するという考え自体が、打破すべき古い思想だったのではないのかという気持ちがした。
番組中では、タイトルが示すように文化大革命のさなかの様子を当事者達が語っているが、資本主義に荷担している反革命分子かどうかの定義自体が非常にあいまいで、紅衛兵の暴走が進んでゆく様子が分かる。手ぬるい態度だと仲間の紅衛兵から、反革命分子だとにらまれかねないのでどんどん過激になってゆく。こうなると歯止めがきかない。日本という他国で今になって振り返ってみると、何をやっていたのかさっぱり分からない。数十年後に資本主義国家よりも熱烈に資本主義に染まってしまうとはまったく想像ができなかっただろう。どちらの方向に進むにせよ極端に行ってしまう国なのかもしれない。

ドラッカーの「産業人の未来」(ASIN:4478320896)を思い出した。この本では革命はろくな結果しか生み出さないと述べているが確かに文化大革命でもその通りになっているように見える。社会を変えるには、革命のようにろくに使ったことがないツールを使って一気に行うのではなく、手持ちのツール(制度や法律など)を使って徐々に行うしかないのだろう。閉塞感があると、一気に社会を変えてしまいたいという気持ちが民衆の中にも出てくると思われるが、それが文化大革命の背後にもあったのかもしれない。