問:会社は誰のものか

答:誰のものでもない。
前にも書いたがドラッカーの「産業人の未来」(ASIN:4478320896)を読んでいると所有とは何かということが気になってきた。社会が存在しないところにも所有は成り立つのか。所有とは他者の承認を前提としているように思える。
共同体としての性格も有する会社を誰も所有することはできないように見える。国や自治体、家族をだれも所有することができないように。所有できるのは経済的な見返りが期待できる株式だけであり、会社ではないだろう。

もう一つ、「産業人の未来」を読んで気になったのが、権力の正統性という言葉だ。企業の経営者が有する権力は何に正統性を求めるべきか。ここで所有という言葉が出てくる。株主から委託された所有権が経営者の権力の正統性を担保する。しかし、この本が書かれた1940年代にはすでに、経営者は株主からは独立して活動するようになっていた。株主は議決権を権利というよりも義務と見なして忌避するようになったためだ。この考え自体は理解できないことではない。株主は経済的な利益が欲しくて株主になったわけであり、議決権の行使という面倒なことには関わりたくないのだから。そうすると、株主から遊離して独立して行動するようになった経営者が有する権力の正統性をどこに求めれば良いのか。この本の中では答えは示されていない。

権力とは制限が付けられて初めて正統性を帯びるのではないか。もちろんそれだけではないが、最低限の条件のような気がする。