人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

読み進むほどに、めまいがしてくる。今まで考えもしなかった視点を提示されるのは非常に楽しく、幸せである。千円程度ですごい儲けてしまった気分。儲けるという言葉を入力して思い出したが、なぜ信じる人と書いて儲けると読むのか。何を信じていれば儲かるのだろう。


「暴力」に関する章を読む。「高貴な野蛮人」という神話が文字通り神話、つまり正しくないことを説明している。昔のほうが殺人はかなり多かったらしい。現在の米国の殺人発生率なんて目じゃないほどの殺人が行われていたというからびっくりである。社会が暴力を引き起こしているのではなく、人間の本性に暴力が潜んでいるのだろう。メディアにおける暴力描写が暴力行為を引き起こしているという批判はよく読むが、関係を立証した研究はほとんどないらしい。また逆の関係も成り立ちうる。つまり人間の本性が有している暴力的な志向が、暴力を描くコンテンツのニースを生み出しているとも考えられる。
「子供は攻撃することををどのように学ぶのか」と長い間学者達は考えていた。社会や環境が暴力を子供に植え付けると考えていたためだ。しかしこの問いは逆に考えるべきだという。つまり「こどもはいかに攻撃しないことを学ぶのか」ということだ。
暴力の起源として、いくつか提示されている。その中でも「競争」は特に違和感はないが、「名誉」というのは少し意外だった。自分は弱い人間ではないという名誉を守ることが国家成立前の社会では大事だったという。放牧を行っている人たちには暴力的な文化が発生しやすいとの指摘もある。生産手段(牛や羊など)を簡単に盗まれてしまうためだ。米国の南部と北部での文化の違いは、南部が欧州の放牧民中心で植民されたせいではないかとの指摘が興味深い。
国家が誕生し、暴力を国家が独占するようになると、物を盗まれたり、危害を加えられた人たちも自ら名誉を守る必要はなくなる。警察に任せればよいのだ。しかし闇社会ではそうはいかない。マフィアや麻薬の売人は警察に頼るわけにはいかない。そのため名誉を守るための暴力が生まれてくる。リスペクトが大事なのだ。
カナダが米国と比較して平和である理由も興味深い。開拓者が先行した米国と比較して、カナダでは政府が先行してフロンティアを開発していったからだという。開拓者は名誉の文化に晒されやすく、暴力的な行為に訴えることも多い。犯罪行為の被害を受けても頼るべき警察もろくになかったのだから。