清潔文化の誕生

清潔文化の誕生

清潔文化の誕生

読了。なんか物足りない気分。清潔文化を全米に浸透させてきた人や組織の奮闘は良くわかったが、新しい視点を得るといった知的好奇心を満たすような本ではないと思う。
大雑把にいって、南北戦争前の米国は、清潔というものに無頓着な国だったが、南北戦争時に軍隊内部で清潔という文化を軍人に叩き込むことで全米各地に清潔という考え方が広まっていく。
その後は感染症に対する恐怖を背景にして、さらに民間主導で清潔文化の推進が図られることになった。ただ当時は感染症は細菌ではなく単に不潔にしていることが原因で発生すると考えられていたために、感染症対策という点から見れば見当違いな行動も多かった。しかし結果的には感染症の抑制には成功している。
清潔文化を受け入れることは、移民にとっては米国人になるための必要な通過儀礼であり、学校や企業を通じても清潔という価値観が植えつけられていった。
大恐慌第二次世界大戦中・戦後は企業を中心として、清潔文化が国民に押し付けられることになる。清潔にしていることが異性にとって魅力的な人物にし、企業社会においては出世の条件になるとのPRを企業が行っていた。もちろんこのようなPRを行うのは、この流れから恩恵を受ける企業、つまり石鹸などの衛生用品を作っているメーカーだ。
第二次世界大戦後の清潔文化のピークと比較すると、現在は比較的不潔になっている。ヒッピーも親の世代(清潔文化に浸透していた)に反抗して、わざと不潔な格好をしていたぐらいである。
現在の生活が普通だと考えていると、少し前までは1年間に一度も風呂に入らない、下着も1年に1回程度しか着替えないといった行動はかなり奇妙に見えるが、水道もろくに整備されていなかったことを考えると当然かもしれない。また歯磨きもろくに行っていなかったようだ。虫歯を発生させるような食生活ではなかったのかもしれないが。昔の女性にとっては洗濯はかなりの重労働だったとの指摘を聞いても現在に生きる私にはピンとこない。水を持ってくるだけでも一苦労で、洗濯機は存在しないので洗濯板で洗うのもまた大変な作業だ。面白いことに洗濯機をはじめとする家電製品の普及で、女性の家事の時間は減ったかというと必ずしもYESというわけではない。洗濯が容易になったために回数が増えてしまったのだ。清潔を求める行動には限りがない。

清潔文化の普及の背景には、人間の恐怖心を突いたプロパガンダが存在したように思える。最初は感染症への恐怖が、その後は異性に嫌われるのではとの恐怖、社会で出世できないのではないかとの恐怖がたくみにコントロールされて清潔文化が浸透していったように思えた。