Richard Hammond's Invisible Worlds 2-3

エピソード2とエピソード3を続けて視聴。光(電磁波)の一部しか人間には見えないことを説明する方法が興味深い。普通のピアノを取り出し、鍵盤を電磁波に喩えている。人間に見えるのは鍵盤の一オクターブ分だとすると、電磁波全体はどの程度の長さの鍵盤となるのか。なんと太陽に届くほどの長い鍵盤になるという。
しかし、なぜ電磁波の一部は、目という感覚器官を用いて人間が見えるのか、そしてもっと周波数の低い電磁波は音として人間に聞こえるのか不思議だ。動物の中には光を聞いたり音を見たりする種があってもおかしくないような気がしてくる。もちろん光と音との間には電波として利用される部分もある。更に高い周波数になると放射能として人体に悪影響を与える訳だし非常に不思議な代物だ。
紫外線も人体に悪影響を与えるために、人間の目の中にあるフィルターで取り除かれてしまい見ることができない。しかし白内障手術によりこのフィルター機能が取り除かれ、紫外線を見ることができるような人もいる。このビデオの中に登場していた。モネの画風が白内障手術を受けた後に変化するのも、手術により紫外線が見えるようになったためではないかと指摘している。

放射能と言えば福島第一原発がまず連想させるが、原発事故のリスクをどう考えればよいのか、最近考え込んでしまう。子どもがいなければ特に気にすることもなかったかと思うのだけど。あまりにも原発事故のリスクに意識が集中しすぎるのも問題かと思う。一番の目標というか願いは、「安心して健康的な生活を送る」といったところだろう。その願いを脅かす一つのリスクとして原発事故による放射能漏れがある。この願いを脅かす他のリスクとしては、喫煙や飲酒による健康被害や、交通事故、生活習慣病なども考えられる。経済的な問題まで含むと失業も対象になるかもしれない。そのようなリスク要因の中で、放射能漏れはどのように捉えるべきなのか。なかなか難しい。