憲法で読むアメリカ史 下

憲法で読むアメリカ史 下 PHP新書 (319)

憲法で読むアメリカ史 下 PHP新書 (319)

読了。非常に面白い。この前引退すると表明したスーター判事に限らず、一度最高裁判事に就任すると信条や価値観が変わることも多いようだ。最高裁判事という意識がそうさせるのか。そのため共和党政権が多くの保守派判事を送り込んでいるにもかかわらず、必ずしも最高裁の判決は保守寄りになっているとも言えない。

司法における保守とは、憲法の条文を厳格に解釈し、民主的に選ばれた議員が制定した法律を軽々しく違憲と判断しないことを指す。逆にリベラルは積極的に新しい理論を生み出して憲法の新たな解釈を生みだし、社会を変革していこうとする立場を示している。この前のThe Economistにも登場していたが、中絶の権利を認めたロー対ウェード判決の根拠はプライバシー権にある。ただ問題なのはこんな権利は憲法に定義されておらず、最高裁判事が生み出したものでしかない。そのような薄弱な根拠で中絶の権利を認めてしまったことに保守派の反発がある。


しかしアメリカ人はなぜこうも中絶になると大騒ぎになるのか、なかなか理解することが難しい。先週号のThe EconomistにはThe murder of George Tiller : Life v choiceという記事が掲載されており、中絶を行っていた著名な医師が射殺されたと伝えている。中絶反対派の犯行らしいが精神異常者でもあるようだ。この手の殺人事件は10年以上発生していなかったというからそれより前には何件か発生していたことになる。オバマ大統領も両陣営に歩み寄りを求めているが、なかなか難しいようだ。