新訳 産業人の未来―改革の原理としての保守主義

引き続き読書中。
自由な政府と優れた政府の違いが興味深い。
人間は不完全であるが故に、自由を必要とするとの主張が面白い。人間が完全な存在なら、そもそも選択の自由は不必要になる。多数派が完全な存在であるとの前提に立つと、多数派が少数派を支配することも肯定される。しかし多数派だからというだけではその主張が真理なのかどうかは担保されない。
ピンカーの「人間の本性を考える」(ASIN:4140910100)にも載っていたと思うが、保守とリベラルの違いがこのあたりにあるのだろう。人間は不完全な存在であると考えるのが保守であり、理性により完全な存在になり得るまたは目指すべきと考えるのがリベラルということになるのだろうか。人間が不完全な存在であるというのは、キリスト教に由来しているという。原罪と関係しているのか?
神の存在を認めるほうが、人間の不完全さを肯定する考えにつながりやすいことは理解できるが、しかしドーキンスのように神の存在を否定したとしても同様の結論に至ってもおかしくないと思う。人間はきわめて単純な生命から、長い時間をかけて進化してきた結果であるという立場を取ったとしても、人間の不完全さ(進化自体は止まらないプロセスであり、人間は進化の途中にあるとも考えられる)を肯定できそうな気がする。

進化論で思い出したが、先週末に借りてきた「評伝シャア・アズナブル赤い彗星》の軌跡 上巻」(ASIN:4063646750)を読んでいて気づいたことがあった。ニュータイプとは人間の進化した形であるという点だ。地球という環境のもとで人間は進化してきた。しかし宇宙で暮らすようになると、宇宙という広大な空間を知覚できるように人間は進化し、その結果、ニュータイプが生まれたといったようなことが書いてあった。確かに説得力はあるが、宇宙に人類が暮らすようになったとしても100年にも満たない期間でニュータイプが生まれるほど進化するのか少し疑問だ。もっと長い時間がかかりそうな気がする。