フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
- 作者: M.チクセントミハイ,Mihaly Csikszentmihalyi,今村浩明
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 1996/08/01
- メディア: 単行本
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この本を読むこと自体がフロー体験なのかもしれない。子供の頃より風呂は嫌いだがフローは好き。
何気ないことに喜びや楽しみを見いだすのは人間だけの特質なのだろうか。犬がボール遊びをしているのを見ると犬にも楽しさを感じる能力はありそうな気がする。この前、あるテレビ番組で犬のボール遊びが取り上げられていた。ボール遊びが好きな犬を連れてきて、何回犬はボール遊びにつきあうかという実験を行うものだった。最初のうちは、ボールを投げるとダッシュで取りに行き、ダッシュで戻ってくる。しかし確か70回程度やると、いい加減犬もいやになるようでダッシュではなく歩いていくようになる。ボールを咥えてものんびり道草を食いながら戻ってくるようになる。とうとう最後にはボールとは違う方向に歩き出してしまうのには笑った。犬にとっては、「もうあんたとはやってられんわ」といったところなのだろう。
フロー体験は、単に幸せを感じるかどうかという問題だけではなく、人間の生死にも関わってくる。ナチスドイツの収容所に入れられた人の中でもフロー体験を感じることができた人は、生き延びることができた。アイスランドには人口比で見ると詩人が非常に多いという。この原因としてアイスランドの気候を紹介している。厳しい気候の中で詩を書くことがフローに導き正気を保つことにつながったのではないかと推測している。
p168の「科学の喜び」を読むと、「人類が知っていることすべての短い歴史」(ASIN:4140811013)に登場する様々な風変わりな科学者を思い出す。専門家ではないアマチュアな科学者たちが科学を引っ張っているという側面もあるのだ。何の報酬も期待せずに単に楽しかったという理由で科学を突き詰めていったのだ。なぜ風変わりなのか少しわかってきた。心理的エネルギー(アテンション)は一定であり、それを特定の活動に集中してしまうことがフローにつながる。しかし特定の活動に集中させてしまうことは他のことには気が回らないことになり、他人から見れば「おかしな人」と映るのだろう。
「フローとしての仕事」という章がある。今日、つり革広告を見ていると日経アソシエという雑誌の広告が目についた。仕事を楽しくする方法が特集らしい。たぶんフローについて書いているのではないかと感じた。