20050525

以下の記事を読んだ。
・新興成長国の代表であった、ブラジルは経済成長を続けるアジア諸国と比較して競争力を失ってきている。原因は官僚主義である。開業するだけでも様々な役所に申請を行い、長時間待たされるのだ。経済の自由化を進めたものの、経済は芳しくなく、失業率も高水準を維持している。世界銀行はブラジルの官僚主義を打破するために様々なプロジェクトに融資を行なっている。この動きに勇気付けられた企業経営者やマスコミも官僚主義の打破に向けて抗議行動を進めている。米国にとっても、南米最大の経済規模を有するブラジルの行方は大きな問題である。景気が良くならないと近隣諸国を巻き込んで反米感情に火がつく可能性もある。ブラジルでは州と中央政府の権限争いも書類の山につながっている。労働者保護が強いために、多くの労使紛争が発生しており、コスト上昇につながっている。新規開業が面倒なために、もぐりで商売を始める向きも多い。そのため地下経済が通常経済の半分程度の規模にまで膨らんでいる。それが税収不足につながり、まじめに商売している企業には一層多くの税負担がのしかかり、事務作業も増加するという悪循環になっている。




・最近では、週末の映画の興行収入が株式市場の大きな関心事となっている。しかし近年の映画ビジネスでは興行収入が全体に占める比率は小さくなっている。映画館で上映される映画自体は、関連商品、DVD、ビデオゲームなどを売り込むための道具となりつつあるのだ。50年前は興行収入が映画会社の売上のすべてであったが、最近では2割以下にまで下落している。興行収入が良かったからといってもDVD販売が好調に推移するとは限らないので注意が必要。たとえは、ドリームワークスが製作した、シュレック2が好例である。この映画はファインディング・ニモ以上の興行収入を上げたものの、DVD販売は期待を下回った。上映期間を長くしてしまったためだ。最近では上映期間を延長しないようになっている。DVD販売のマーケティング戦略に悪影響を与えるためだ。




・多くの受刑者が毎年出所している。受刑者が仕事・住宅・身分証明を得るには様々な問題が待ち構えている。今まではこれは犯罪を犯したものたちが支払う代償だと考えられてきた。しかしこのような難問があるために、出所しても再び罪を犯して刑務所に逆戻りするケースも非常に多い。社会復帰を容易に行なえるようにすることは、社会全体のコストを引き下げる目的にもかなうのではないかとの考えが浮上しつつある。社会復帰を行なうには、職を見つける必要がある。しかし職を見つけるには身分証明を得る必要があるが、受刑者が運転免許を獲得するのは難しい。教育を身に着けようとしても、政府からの学生ローンを得ることも困難である。政府が援助している住宅では、犯罪者を排除する制度が導入されているのだ。このように政府自体が社会復帰を阻害している部分も多い。事実、刑務所に関わるコストは医療費に次ぐ支出として連邦予算を圧迫しているのだ。このような背景の下、連邦議会では社会復帰を容易にする法案が成立した。政府が元受刑者に対して様々な支援を行なえるようにするためである。




カトリック団体に向けていくつかのヘッジファンドが登場している。今まではカトリックヘッジファンドの不透明さを嫌っていたが、ヘッジファンド側も情報開示を向上させたりしてカトリックの資金の取り組みを強化している。カトリックの教義に合わない、中絶、避妊、軍事、クローン技術などに関わる企業への投資を行なわないというポリシーも掲げている。これは資産運用における社会的責任投資(SRI)の一種とも言える。SRIは投資資金の1割以上を占めているが、多くが投資信託を通じたものである。そのためヘッジファンドはこの分野に大きなビジネスチャンスを見出しているようだ。ただトラックレコードがそろっていないので躊躇するカトリック団体も多く、なかなか資金が集まっていないようだ。



最後の記事を見ると、ヘッジファンドの性格も大きく変わりつつあるような気がする。ヘッジファンドとは成功報酬を徴収する私募形式のファンドという幅広い言葉になっているようだ。先日、New York Timesの記事に載っていたのだが、ヘッジファンドとは運用手法のイノベーションというよりも報酬体系のイノベーションであるという。また資産運用業界における起業家精神の表れだとも指摘していた。腕に自身のあるシェフが独立してレストランを開店させるようなものなのだろう。ただ当局からの規制が強化されたり、投資家層の変容(従来の富裕層から、機関投資家やファンド・オブ・ファンズなどに移行しつつある)により、ヘッジファンドの大企業化が進むのではないかとの指摘もあった。機関投資家としては運用成績もさることながら、投資プロセスの明確化などもファンドに求めているためだ。これはファンド内部での運用体制の明確化につながり、官僚化を促進し、自由な投資アイデアの追求を妨げる可能性もある。