フロー体験 喜びの現象学

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

引き続き読書。仕事はアダムの呪いをいまだに受け続けているという。仕事でフローを感じる人は多い。反対に余暇でフローを感じる人は予想外に少ない。しかしできるかぎり仕事から離れて余暇を楽しみたいと考える人も多い。それはアダムが罰として神から労働を与えられたという事実が人間の心に染みついているので仕事でフローを体験していても信じ込むことができないからだろうと指摘している。だいぶ前に金持ち父さん貧乏父さんを読んだ際にも同じような印象を持った。あの本の著者は日本人のような名前だが考え方は西洋人なんだなと感じたことを覚えている。日本では労働は罰として与えられたものという意識を持つ人は少ないのではないかと思うのだが。
「自分の仕事を見いだした者は幸いである。それ以外の祝福を求めさせてはならない。」
「仕事は人を高貴にし、また動物に変える」
フロイトは、幸福の処方について尋ねられた時、「仕事と愛」と極めて短いが明確な答えをしている」という記述もある。ドラッカーの「産業人の未来」を読んでいた時、社会は、一人一人に「位置」と「役割」を与え、重要な社会権力が「正統性」を持ち得ないと機能しないと書いてあったことを思い出した。「位置」が「愛」、「役割」が「仕事」に相当するのかと感じたりする。