恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

(1)を読了。刺激的な仮説が多く提示され、かなり消化不良気味だ。

人類の祖先は、現在と異なり、父親が育児に関わることはほとんどなかったという。母親だけで充分子供を育て上げることが可能だったようだ。時には男が育児を行うこともあったが、必ずしも自分の子供とは限らない。その子供の母親に対する求愛行動と考えるほうが妥当なようだ。長期的な一夫一妻制は比較的新しい仕組みなので、大昔は比較的短い期間で配偶関係は終わっていたようだ。せいぜい5年程度という推定もある。
現代人と異なり、祖先達はそれほど働かなくても食料を得ることができた。週に30時間も働くだけで充分食料を確保することができたという。その結果、夫婦が過ごす時間も長くなってしまう。経済的なつながりもそれほど大きくなく、もちろんテレビや映画などの娯楽もない。その結果、魅力が低下した配偶者は簡単に乗り換えられてしまったのではないかと推定している。
求愛行動は必ずしも繁殖能力が旺盛な年齢でのみ行われるわけではない。求愛行動、つまり自分たちの適応度を他人にアピールするという行動は、配偶したい異性だけに行われる訳ではなかった。子供が親に対して行うこともあるし(自分の適応度の高さを親にアピールして親から育児放棄されないように)、同性に対して行うこともあるし(友人作りの場面で)、子供の配偶見込者に対して行う場合(優れた家族であることを示すことは子供の適応度の高さを異性にアピールすることにつながる)もある。こうなると、求愛行動はヒトの一生を通じて行われることになる。
子供は母親の周りから離れることはなかった。学校や幼稚園もなく、面倒を見てくれる人もいなかったのだ。そうなると雄は、雌に求愛行動を行う際には子供を無視することはできなくなる。子供にも気に入られなくてはならないのだ。しかも配偶関係は比較的短い期間で終わってしまうことを考えると、必然的に求愛行動の対象となる雌は子持ちということになる。まだ出産を行っていない雌よりも、多くの子供を抱えている雌のほうが繁殖能力が高いことを意味するので、雄にとってはより魅力が高くなる。現在では男性は、自分より若い女性に魅力を感じるのが一般的だが、これは長期的な一夫一妻制が主流になってきたためではないかと推測している。死ぬまで同じ女性と夫婦関係を維持するのであれば、潜在的な出産可能人数を示すのは年齢しかなくなってしまうからだ。
年齢が重視されると、それを欺くように進化することも考えられる。幼形成熟(人間が、他の類人猿における子供の特徴を成人にまで持ち越しているように見えること)というのがあるらしい。


進化に際しては、長期的な利益を目的として短期的な損失を覚悟するという動きは発生しない。常にその世代で生物学的な利益が発生しないと、絶滅してしまうのだ。そうなると、目や翼のような複雑なものが進化により登場することを説明するのが難しくなる。いきなり目や翼が完成した状態で登場することはなく、徐々に進化していくしかないのだから。完成するまでの間はよけいなエネルギーは必要になり、適応度を低めてしまうのではないかとも考えられる。そこで性淘汰を一種のベンチャーキャピタルとして考えるとうまく説明できるのではないかと指摘している。実際に生存上の利益が実現される前から、性淘汰がいろいろ進化で遊んでみる余裕を生み出すことができたのではないかと主張している。