飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで

飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで

飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで

ポストイットを貼り付けていた箇所をメモ。

  • 火器が弓矢に取って代わり始めてからまるまる8世紀経過した今日でも、archer(弓の射手)、fletcher(矢の製造人)という名前の電話帳に多数見られる。弓と矢が昔は重要な地位を占めていたという証拠。
  • ギリシャ火という兵器があった。ビザンツ帝国で利用されていたもので、他国に技術が流出しないように厳重に製法が管理されていた。そのため現在ではどんなものなのか正確には理解できない。ただナパームににた液状ないしはジェル状の物質で、小さな容器に入れて手榴弾のように投げたり、投擲することも、炎を噴射させることも可能だった。
  • 火薬は戦争の産物ではなく、火災を起こす手段として開発されたものでもなく、不老不死の霊薬が起源。中国の道教徒が硝石の研究をしていて生まれてきた。
  • このようにして生まれた火薬は、世界史に大きな影響を与えている。ユーラシア大陸だけではなく、ハワイでも活用された。カメハメハ大王は火薬を利用してハワイ統一を成し遂げた。
  • 火薬の発達は、それまでの築城を無意味にしてしまったが築城術にもルネッサンスが発止する。ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチの築城に関わっていた。ミケランジェロは「絵画と彫刻のことはよく分からないが、築城術に関してはたっぷりと経験を積んでいる」とまで言って自らを売り込んでいたらしい。
  • 飛び道具発展にも停滞の時期があった。大砲が発明されてから500年以上ものあいだ技術的な進歩はなかった。ただ新しい飛び道具(兵器)の登場は、国家間の衝突を避けるものではなく、衝突をより血なまぐさいものにしてしまった。
  • 19世紀後半から20世紀初期にかけては、ロケットの利用は娯楽と救命事業の分野に限られていると見られていた。第一世界大戦中には殺戮兵器としては用いられず、戦勝国もロケットを軽視していたので、ヴェルサイユ条約でもドイツ軍にたいしてロケットに関しては何も制約を設けなかった。
  • 殺戮兵器としてのロケットはナチスドイツのもので開発が進んだ。V-1、V-2、V-3の3つが登場したものの、成功したと見られるV-2でも英国での死者の数は、このロケットの製造中に死亡した奴隷労働者より少なかった。
  • 量子力学の問題を考えていてもめまいを感じない者は、この問題の初歩すら理解していないことを白状しているようなもの」ニールス・ボアの言葉。
  • ロケット科学者はアーリア人だったのがロケットに対するヒトラーの信頼を高めた。ユダヤ人に対するヒトラーの病的なまでの嫌悪感が核研究に対する不信感を募らせていた。核研究にはユダヤ人の物理学(量子物理学)が必要だった。