喪失と獲得―進化心理学から見た心と体

喪失と獲得―進化心理学から見た心と体

喪失と獲得―進化心理学から見た心と体

引き続き読む。「奇形の変容」を読んですこしクラっとする。そういう考え方もあるんだなと。
人間は現在の姿がベストなのか。神が創造したという考えに立つとそうかもしれないが、進化の結果こうなったのだと考える人にとっては現在の人間の姿形は物足りない。もっと身長が高くても良かったし、もっと頭が良くても良かったはずなのだ。しかし人間が現在のような状態に落ち着いているのもそれなりに理由があったからなのだとこの文章では指摘している。
身長がもっと高ければ、動物をしとめるのに苦労しないので道具を発明する能力は発展しなかったかもしれない。体毛がなくなったことは人間の生存可能地域を限定してしまうことになるのだが、これが火の利用に結びついたとも考えられる。記憶力の低下が抽象的な思考能力や言葉の利用に結びついた可能性もある。頭が良すぎると何でも自分で解決できるために、社会を形成して共同して問題解決に当たろうとする態度は生まれなかったかもしれない。
欠点があるが故に、それを補おうとする強いインセンティブが生まれ、結果として欠点を克服することに加えてさらなる高みに上り詰めるというおまけまで得られたのではないかという主張は人生訓の本ではよく見かけるような内容だが、進化でも同じことが言えるというのが非常に驚きである。「人生万事塞翁が馬」という言葉を思い出した。すこし違うかもしれないが。

猿のほうが人間よりも記憶力が優れているというのが意外だった。記憶力が高いとパターン化して覚える必要がなくなってしまう。そのため抽象的な思考力が生まれなくなるらしい。うまい具合にできているものだ。


プラシーボ効果に関する文章も途中までだが読んでいる。プラシーボ効果に関しては、私なんかは人間に備わった治癒力はすばらしいなあと単に感心するのみだが、反対の見方もできることに気づいた。すなわち、なぜそのようなすばらしい治癒力を抱えているのに、プラシーボが与えられるまでこの効果が発揮されないのだろうかという疑問だ。確かにそうだ。勝手に治癒力が発動してもいいはずなのに。この理由ももちろん著者は推測している。続きはまた書く予定。
本文で紹介されていた「癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか」(ASIN:4042777015)も面白そうだ。